なぜ、そう感じたのか
扇ちゃんが、ちゃんとしないと嫌と言い
貝木さんが、ちゃんと生きていて
戦場ヶ原さんと、羽川さんが、ちゃんとしてなくて良いと言ったから
仮説 ちゃんとするとは、間違いがない状態とする。
ちゃんとは、共通語では「きちんと」と訳される。
ちゃんとを辞書でひくと
①少しも乱れがなく、よく整っているさま。
②確実で間違いのないさま。
③結果が十分であるさま。
④すばやく動作をするさま。さっと。
仮説では、③の間違いがないさまを採用する。
人に対して「ちゃんとして」というセリフを言うときは
間違いがない状態を求めている。
正誤判断は、発言した人の価値観に委ねられて入るが、間違っていないように感じる。
ちゃんと生きるとは?
生きるという行動に間違いがない状態。
正解は何?
社会のルール、常識、規範
自分のルール、価値観
これら全てなのかもしれない
自分の中で正解がある事柄について
合っていたら、ちゃんとしているに
間違っていたら、ちゃんとしていないになる。
ちゃんとできるのは
自分の中で正解と不正解を認識できる人になる。
自分の中での正解がある事柄が少ない人は、ちゃんと生きるという方針がとりづらい。
結論
正誤の判断がつかない子供に対して、ちゃんとしてという言葉は意味がない。
私の思ったように動いて、という意でしかない。
自分の中での正誤がはっきりしている人は、ちゃんと生きるという方針が使える。
世の中は、どっちでもないことだらけなので、ちゃんと生きるという方針は基本的には使えない。
ちゃんとしよう!は漠然としすぎている。
なんかよくわからないけど、今日は上手くできなかったから、次はうまくやろう。というニュアンス。
ちゃんとするという言葉は使わず、ここをこうするという具体的に置き換える。
面白い話
「ちゃんとしよう」というのが標語だった期間があった。
かっこいい、今でもかっこいい標語だと思う。
間違いのない世の中は憧れるけど、間違いだらけなんだよなぁ
神様は、ちゃんとしてほしい