雑談

雑談:自己承認の問題

自己承認欲求の話は、よく聞くと思います。
現代人は自己承認欲求が高すぎる問題ですね。

自己承認欲求が低い人の嘘

自己承認欲求が高い人は、自己が強い人です。
自分はこんなに認められるべき人間なのに、なんで周りの人間は認めてくれないんの?
という現実と理想のギャップから、生まれる感情です。

実は、自己承認欲求が高い人には2パターンあります。
一つは自己が認められてないパターン。
これはわかりやすく、SNSで頑張っちゃうような目につくパターンです。
そして、もうひとつは自己が認められているパターンです。

自己承認欲求がないように見える人にも、自己承認欲求が強いという形があります。
それは、今現在自分が認められていると感じているので、強い自己承認欲求が満たされている場合です。
その場合は、今のところ欲求が表面化していませんが、自分が認められない立場になると、承認欲求が表面化する、隠れ承認欲求が高い人ですね。

そして、みなが目指しているのは、隠れ承認欲求が高い人です。
承認欲求を低くしようというアプローチではなく、みんなに認められていると錯覚することで、高い承認欲求を満たそうという考えですね。

本当の自己承認欲求が低い人になりましょうという方針ではないわけです。

自己が弱い人間が、自己承認欲求が低い

自己承認欲求が低い人は、自己が弱い人です。

自分は何者なのか分からない、だから認めてもらうような自己は存在しないという思考パターンの人ですね。

こういう人は非常に危険で、自死を選びかねません。
もしくは、悟って、幸福になるか
仏になるか、地獄に行くかの二者択一みたいになるでしょう。

仏のように生きるならば、自己を消すという生き方もありえます。
とても崇高な生き方だと思いますが、それに耐えうるメンタルをもっている人は一握りです。

自己を消す、自己が弱い生き方は、万人にはおすすめできません。

本当に危険なのは、自己承認欲求が低い人

今の社会は、自己承認欲求が高い人はダメ
自己承認欲求が低い人を目指しましょうという風潮です。

しかし、本当に危険なのは自己承認欲求が低い人の方です。

自己承認欲求が低い人というのは、自己が弱い人です。
自己が弱い人間というのは、生きるのに苦労します。

自己が弱い=アイデンティティの消失といえば、イメージが湧きやすいでしょうか
もし、あなたが、愛しの子供の母親だというアイデンティティを持っていたとしましょう。
そして、その愛しの子供が事故でなくなりました。
そしたら、非常に悲しむでしょう。場合によっては一緒に死のうとするかもしれません。
その理由は、自分の子供の母親であるというアイデンティティを失った悲しみです。 まぁそれだけではないでしょうが

自己承認欲求が低い人の心理状態は
愛しの子供を失った母親の心理状態です。
危うさが伝わったと思います。

昔の話で、子供を失って出家した尼さんの話は度々聞きます。
自己消失したことで、仏への道が切り開かれたのでしょう。
その裏で、何人の母親が死んでいったかは分かりませんが