なぜ、そう感じたのか?
いろんなところで言語化という言葉を聞くようになった。
本とかも増えているし、動画も増えている。
私は興味ないから見ないんだけどね
なんで急に流行ったのか
なぜ?言語化が流行ったのか
言語化したいけど、出来ない人が多かったから
言語化したいという気持ちは潜在的にずっとあったけれど、それを言語化することでの快感や利便性が世に知れ渡ったのだろう
自分の意見が重用な資産になった
自分の意見が重用な資産になるようになって、それを言語化して持っているか、言語化せずにもっているかで差がつくようになった。
自己理解の重要性が浸透してきた
どういった理由かはわからないけど、自己理解の重要性が浸透してきて
そのためには、自分の気持ち、考えを言語化するのがよいということ
過去
言語化という言葉は昔からある。
最近つくりだされた流行語というわけではない
言語化の重要性に関しては、今も昔も変わらない。
その必要性を感じてきたか、感じてこなかったかが違う。
似たものの現状と未来
論理的に話すというのに似ている気がする。
一時期、論理的に考えること、論理的に話すことが重要視されていた。
今は論理的に話すことが難しいこと、実際はそんなに必要ないことが知れ渡って
論理的に話すことは、一部の人ができること、一部の人ができればいいことという認識がしれ渡った。
どうなる?(未来予想)1年後、5年後
言語化という言葉は残ると思う。
人に説教するときに、「ちゃんと言語化しろ」とか言いやすいから
言語化を頑張る、できるようになるという機運は落ち着くと思う。
そう簡単にできないこと、できたってできなくたっていい場面が多いことが理由としてあげられる。
考察
言語化の重用性は昔も今の変わっていない
特に内省をするとき、自分の感情を理解するときに役に立つ。
人に分かりやすく話すために言語化したいという意見があると思うが
それは言語化能力が低いのではなく、物事の理解力が低いからだと思う。
小学4年生に理解できるように話せたら理解できている証拠であるという有名な言葉があるが
オタクがいつも上手く話せないのに、自分の興味のある分野になると聞いてもないことまでベラベラ悠長に話し出すという現象はどこでもみられる。
オタク特有の早口とか言われたりする。
だが、その人は言語化能力が急にあがって、急にさがったわけじゃない。
単に分かることは話せて分からないことは話せない。それだけ
物事を理解していないから説明できないのを、自分は理解しているけど言語化能力が低くてうまく伝えられていないのように責任転嫁しているように思える。
反論
メンタルヘルスにきくので医療現場では残る言葉ではないか?
言語化能力は本当に簡単には伸ばせないのか?やり方さえわかればできるのではないか?
言語化しなくていい部分というのは多くあると思う、けれどそういう部分でさえ言語化を求められるようになるのではないか?
物事を完全に理解していても、人に説明するのが下手くそな人は大勢いる。
今、私はこう考える
私は言語化が得意なので、このブームに関しては冷ややかな目でみている。
言語化は重用だし、文化として根付いてほしいとは思っているけれど、一過性のものだろうなとは思っている。
言語化という言葉に救われた人がいたらいいな思うが、そんな人はいるのだろうか?
私は言語化能力がすごいと言われることが多いが、以前なら色んな方向で褒められていた。
それを言語化という③文字に集約されてしまった感はある。
面白い話
感情を言語化するために、感情辞典みたいなのを買ったことがある。
けれど、一回も開いてない