スポンサーリンク
極楽とは、所在なさを楽しむこととみつけたり
なにかやっているときに楽しいのは二流
一人で何もしていないときに楽しいと感じれる人生をいきねばならない。
所在なさが楽しいとは、どういうことだろうか?夢想が楽しいということだろうか?自由が楽しいということだろうか?
苦しいと思われていることを楽しめるようになったら素晴らしいという意味なのだろうか?
用もなく相手を伺わうことは良しとしない。しかし、用事もない一時ほど幸せなこともない
用事もないのに相手の時間を奪うのは大変しつれいなこと。
相手の時間を尊重してこそ、自分の時間も尊重してもらえる。
とはいっても、「用事はないけれど、会いたいから来たよ」この言葉ほど嬉しいこともない。
芸は人の嘲笑こそが糧となる
なにごともうまくなるまでは人前で披露しないという考えでは、うまくならない。
恥ずかしさ、みっともなさが成長の糧になる。
痩せたら海にいこうは良い目標だけど、痩せてなくても海にいかないとね
人がみてないところに、品性がでるんだよなぁ
人に見られているときにだけ美しい人は品性がない。自分とお天道様しか見ていない世界でどのような振る舞いをするかが品性である。
車を見送った後の行動が見ていて面白い。見送りは嬉しい気持ちにはなるが、早く発車しないととか、相手から車が見えなくなる位置でナビを操作しようとか、ちょっと考えるよね
スポンサーリンク