以前、「共通言語としての英語は日本語英語でいい」といった内容の公演をきいた
だいぶ前の話だけどね。
それに関しては日本語側からの意見はありつつ、英語側からの意見はあまりなかった。
だけど、実際に使えるとか、実学とかいう言葉に少し違和感を覚えた。
実学と虚学
実学は実際に使える知識、学問
虚学は実際には使えない知識、学問
虚学なんて言葉は聞き馴染みはないが、反対語で調べたらでてきたから、今回は使う。
例として実学は
英語、経営学、医療、法学などが挙げられる
学んだ知識がそのまま実生活に活かされている
虚学は
数学、哲学、歴史など
学んだ知識が実生活で活かされることはない
五教科は虚学
高校生で授業を受ける内容は虚学である。
英語、数学、理科、社会、国語
こんなもの覚えたからといって現実世界では全く役に立たない。
もちろん、全て役に立たないか?と言われれば、そんなことはない。
役にたっている知識も一定数あるが、大部分は虚学になる。
よくある「なぜ勉強するの?」という問に全員が明確に答えられないのはこれのせい。
実学であれば、こういう時に役に立つとか、役に立ったエピソードとか簡単に答えられる。
数学は論理的思考能力を鍛えると役に立つとか
歴史は過去を学ぶことで未来が分かるようになるとか
国語能力はどこにいっても必要だよとか
いい学校にいくためだよとか
どうせ勉強するなら楽しんでやろうとか
もちろん適当な理由をこじつけて「役に立つよ」、「だから勉強は有意義だよ」って言うことはできる。
けれど、5教科の教育の本質は虚学であり、実生活には使えない知識だがベースの能力を引き上げるためというのが題目だ。
どんなにそれっぽい理由を並びたてたとしても、それは本質では無い。
どの意見も間違ったことを言っているわけでないが
子供は、いいように取り繕った嘘に敏感である。
どんな理由も本心からでた言葉でないため、子供は納得しないのである。
それでも上手く言うならば
「役に立ったと実感したことはないけど、無意識の範囲で役に立っていると思いたい」
こんなところでしょうか
英語がなんか変
英語だけ実学を求められているという話
「なんで英語を勉強しないといけないの?」
この問に対する答えは数学や歴史の時より簡単ではないでしょうか?
「今はグローバル社会で大人になれば英語を使う環境に身を置くことになる。だから英語を身につけておくことは重要」
ざっと、こんな感じでしょうか
真実味があるし、説得力もあります。
英語は実学寄りだから簡単に答えられるのです。
「役に立つよ」と
私が気になっているのは、もっと役に立つ英語を教えろという声がたくさんある一方、もっと役に立つ数学を教えろという声は全くないということ。
実学を学校で教えてほしいと思っているならば
もっと役に立つ国語を教えろ
もっと実際に使える歴史を教えろ
もっと身になる数学を教えろ
こういった意見が多くてもいいはず
学校英語は虚学
英語を虚学としてみるなら、英語の目的は外の文化に触れて見識を高めること、といった具合でしょうか。
英語が実際に使える英語なのか、使えない英語なのかなんてどうでもいいことなんです。
多文化に触れて、外には多くの考え方があると分かり、それを受け入れる土壌がつくられたなら教育成功です。
英語が実際に必要になったら、その時覚え直したらいいじゃないですか
学生の英語学習者、また教える側も英語は虚学であるという大切なことを見落としている。
「なんで英語を勉強しないといけないの?」
この問に対して、将来役に立つからとは安易に答えてはいけない。
最後にもう一度触れておきますが、これは学校教育の話です。
実際に使える英語を学ぶための場所の話ではありません。