見られたら恥ずかしいノートにする。
どれくらい頭が悪くなれるのか
できるだけ具体的なもので書く
なぜ、オーディオブックは読書なのかと感じたのか?
私は読書量は多くはなくて、月に1冊~3冊ほど
もっと読みたいとは思ってますけどね、、、
それとは別でオーディオブックを聞いてます。
オーディオブックは新しい本よりも、同じ本を繰り返しきいたりするほうがメインなので、新しく本を読んでいるわけでもないわけです。
こういう界隈にいますと
「あなたは今月は読書しましたか?」みたいな問いかけはよくあるわけですよ。
そういう質問に対していつも思うのが
「同じ本を読んだ場合、または聞いた場合は読書量に含まれるのか?」
「オーディオブックは読書に含まれるのか?」です。
含まれようが含まれなかろうがどっちでもいいんですけど
自身持って答えたいなとは思います。
オーディオブックは読書なのか?
読書は、本を読むこととすると定義します。
読むとはなにか
→読むとは、意味を取るということ
→気配を読む、視線を読むなど、読むは文字を認識するという意味合いだけではない
本とはなにか
→冊子の状態になっているもの
→もし、本の内容を巻物に書いてあったり、砂浜に書いてあったりしても本とは呼ばない
→本は形態も大事
本とは何か
→中身に内容があるもの
→絵本などもあるので、文字が書いてある必要はない
→空白ノートは内容がないので、それはノートであり本には当てはまらない
→では、内容の書いてあるノートは本になる?
本とは何か
→内容に一定のクオリティがないとだめ
→本と同じ内容を丸写ししたノートは本になる?
→本になるといっていい
オーディオブックは「聞く読書」とよくいわれる
→聞く読書とは、読書ではないという表現にもとれる
→海のバターは、バターではない
→聞くラー油は、ラー油ではない
→バターに似てるもの、ラー油に似ているものという比喩表現で使われる
考察、つまり?
・本を読むとは、
「冊子の状態になっているものの中にある、一定のクオリティの内容を受け取る」ということとする。
つまり、オーディオブックは、
本の内容を受け取っているので読むという点は当てはまる。
一定のクオリティがあるという点は当てはまる。
冊子の状態という点は当てはまらない。
つまり、オーディオブックは読書にあたらない。
同じ本を何度も読んでも読書に当てはまる。
反論
一定のクオリティとは何か?
しょうもない本も5万とある
オーディオブックのブックは日本語で本という意味
出している側も本と思ってだしているのではないか?
あなたは今月は読書しましたか?という質問の意図は
本を通して、あなたは成長しましたか?ということだと思う。
厳密にはオーディオブックが読書には当てはまらないかもしれないが、
この質問に対する回答としては、オーディオブックしか聞いてなかったとしても、読書したという回答でいいと思う。
思い出し話
屁理屈では、よく使う手法だなと思った。
この公園では花火をしないでください に対して
爆竹は花火ではないのでセーフとか
ここに座らないでくださし に対して
寝転がっているからセーフ みたいな
私の人生、そんなことばかりだ気がする
今、私はこう考える
今、私はオーディオブックは読書ではないと考える。
「あなたは今月は何冊読書しましたか?」という質問に対しては、オーディオブックは含まないようにする。
面白い話
「本は聞く時代だ」
本は昔から読めた方ではあるが、オーディオブックを聞き始めてから、本に対する苦手意識みたいなのが下がった気がする。
英単語を聞き流して寝るという、みんなが1度は通る道を私も例外なく通ってきたが
全くの無駄だったと、はっきり言える
検索と答え合わせ
質問『オーディオブックは、読書にはいりますか?』
オーディオブックは 「読書」には入らない という意見と、「広義の読書」として認められる という意見の両方があります。
1. 読書には入らない派
- 「読書」は 文字を読んで理解する 行為であり、オーディオブックは 耳で聞く ものだから読書とは別。
- 読書は 視覚を使って文字情報を処理 する行為であり、聴覚を使うオーディオブックは「聴書(ちょうしょ)」と区別すべき。
2. 広義の読書に含まれる派
- 内容を理解し、知識を得る という目的は同じなので、オーディオブックも「読書」の一種と考えられる。
- 目の不自由な人にとっての読書 として、点字と同じようにオーディオブックも情報を得る手段のひとつ。
- 「読む」行為よりも 作品の内容に触れることが重要 ならば、オーディオブックも立派な読書。
結論
厳密には 「読む」行為を伴わないため、従来の定義では読書に含まれない。
しかし、知識や物語を楽しむという点で「広義の読書」に含めても問題はない という考え方もある。