「人生無駄なことはない」
「無駄なことすら意味がある」
こういう言葉は、一見無駄に思えることでも、価値があるよー。
将来に役に立ったりするから、無駄なことでもやってみよう!という意味合いでよく使われる言葉です。
無駄なことでも意味があるよ。というメッセージには、実は他にもメッセージが隠れています。
それは「意味がある行為をしましょう」です。
意味があることだけが良い事という価値観があるから、無駄なことは良い事だよという論理ですね。
ですけど、私は思うわけです。
無駄なことは無駄でいいんじゃないの?って
無駄なことに意味なんてなくていいし、将来役に立たなくてもいいことです。
明日になったら、無駄なことをした記憶が全て消えてなかったことになったとしても、何の不都合があるでしょうか。
無駄なこと=価値があること=良い事
ではなく
無駄なこと=良い事 という図式でいいんじゃないかなと。
効率の波は深刻な所まで侵食してます。
睡眠は何のためにしますか?
寝たいから寝るでいいはずです。
今は
・翌日のパフォーマンスを上げるために
・健康的な生活を送るために
・将来ボケないように
昼食は何のためにしますか?
お腹すいたから食べるでいいはずです。
今は
・昼食を使って人脈を広げるため
・職場のコミュニケーションを円滑にするため
・栄養を取ることで、午後の仕事のパフォーマンスをあげるため
読書は何のためにしますか?
本を読みたいから読むでいいはずです。
今は
・本で得た知識を仕事で活かすため
・本を読むことで思考力を鍛えるため
・他の人に読書家だと思われたいため
電車が1分遅延したとして
1分の遅延が腹立たしいと感じる人もいますし
1分の遅延でも、時間を有効活用しようと勉強し始める人もいます。
どちらも忙しすぎますよ。
私は効率的な生活を推進している立場ではありますが、「もっと気楽にいこう」と伝えたい人が多いのも事実です。
価値の有無という基準だけでなく、他の線引きがあれば生きやすくなるかもしれませんね。