なぜ、感じたのか?
動物が賢いという人がいる。
犬が賢い、猫が賢い、シャチは賢い、カラスは賢い
こういうのを聞くたびに思うのが、それは動物の中では頭を使って行動する部類というだけでは?と感じる
人間の尺度の賢いと動物の尺度の賢いをごっちゃにしている気がして、違和感がある
動物の尺度の賢いというならば、ほとんどの動物は賢い。
この世は賢くないと生きていけない
カラスは賢くて鳩が馬鹿なんてことはない
うちの犬は賢くて、隣の家の犬は馬鹿なんてこともない
人間の尺度で賢いというならば、全ての動物は総じて馬鹿である
なぜ特定の動物にだけ、「賢い」という形容詞が使われるのか
本当にカラスは賢いのか
賢い動物としてカラスを取り上げる、本当にカラスは賢いのだろうか?
カラスの生態はあまり知らないので、イメージにはなるが
・記憶力がいい。人の顔など場所を覚えていられる
・道具を使える。
・集団行動をする
記憶力はよさそう、他の鳥類と比べればという注釈つきで
確かに道具を使えるのは動物として賢いといっていいが、燃えるゴミをにかかってるカラスよけを道具を使ってどけれないようでは、道具を使えるといっていいのか微妙
他の鳥類よりはマシという程度か
集団行動は他の鳥もする
連携の密度が高いかもだけど
なぜ?人は動物に賢いと言うのか
本当に賢いか?というと微妙だと分かった。
では、なぜ人は動物に賢いというのか
注意を促すため
→カラスは賢いという知識があれば、カラスの害から身を守ることができる
→人は、どうせ覚えてないだろうということでカラスに意地悪したりするから
→ストレス発散
褒めることができる相手がいないから
→褒めるという行動は上から下が多い。全てではないが、子供を褒めることはできるが上司を褒めることができない
→頭が悪い人が相手(動物)を褒めることで、優越感に浸っている
→動物は賢いね 賢いと認められる自分はもっと賢い
道徳的な話
→記憶力がいいから、攻撃してはいけない
→記憶力なないなら、攻撃してもいい?
尺度を合わせている
→動物の中では賢い、犬の中では賢い、鳥の中では賢い、小学生にしては賢い、赤ちゃんにしては賢い
→みんな、種族の違いを自然と身につけている
親ばか
→自分の子供は馬鹿でも賢くみえる
→動物に母性を抱いている人がいるのかも
固定観念
→カラスは賢い、シャチは賢いなど。すでに定型文になっている。深く物事を考えての発言ではない
→カラスから連想する言葉として、「賢い」というフレーズをもってきているだけ
→カラスの話題に興味がないときに口からついで出るだけの言葉
考察 つまり
動物を褒めるというのは、優越感に浸る行為である。
種族ごとの尺度をみんな持ち合わせている。
私は一律の基準を持ちすぎているのかもしれない
いや、賢くないだろって突っ込んでしまう。
動物とフレーズがセットという考え方が一番納得しているかも
反論
カラスはカラスの害から身を守るということができるが、他の動物はそうでもない
犬から身を守るとかはないし
記憶力がないから、攻撃していいという理由にはならない。
思い出し話
シャチは、他の動物で遊ぶらしい
魚でバドミントンみたいなことして遊ぶんだとか
動物は、捕食、生存以外にも他の動物で遊ぶという行為をする。
猫が仲間同士でじゃれ合って遊ぶとは、話が違ってくるなと思った
今、私はこう考える。こうする
動物は賢いという知識は優越感を感じさせてくれる知識だから、頭に残りやすい。
頭に残っている知識は、定型句として何も考えていない発言にでやすい。
なので、動物は賢いというフレーズをいたるところで聞くことになっていると、今私は考える。
私はそういう話を聞いても、笑顔で聞いてあげることにする
面白い話
「動物が賢いは自分が賢い」
うちは犬を買ってたけど、嬉ションしながら歩いて来た時は、馬鹿だなぁと感じた。
うちの子は賢いだけでなく、うちの子は馬鹿だというのも愛情表現になるのは不思議
検索と答え合わせ
Q「動物が賢いと人間が言うのはなぜですか。人間の尺度で考えた時に動物は賢くないと思います」
A
人間が動物を「賢い」と言うのは、多くの場合、人間の視点や価値観に基づいた判断だからです。しかし、動物の知能を正しく評価するには「賢さ」の定義を考える必要があります。
1. 人間の尺度での賢さ
- 人間社会に適応できる能力(例:言葉を理解する、道具を使う)
- 問題解決能力(例:迷路を抜ける、パズルを解く)
- 記憶力や学習能力(例:訓練で芸を覚える)
こうした基準で見ると、確かに動物の知能は人間と比べて限定的に思えます。しかし、これは「人間の世界で役に立つか」という尺度で見ているだけです。
2. 動物独自の賢さ
- 環境適応力:例えば、タコは環境に応じて瞬時に体の色や形を変え、敵から身を守ることができます。
- 社会性と協力:オオカミやイルカはチームワークを駆使して狩りをし、仲間と協力する知能を持っています。
- 道具の使用:カラスは針金を曲げてフックを作り、餌を取り出すことができます。
これらは人間とは異なる基準での「賢さ」ですが、それぞれの動物にとっては生存に直結する重要な能力です。
3. 「賢さ」の本質とは?
人間は言語や論理的思考を重視するため、それらがない動物を「賢くない」と見がちです。しかし、もし「生存する能力」「環境に適応する能力」「仲間と協力する能力」が知性の一部だとすれば、動物たちもまたそれぞれの形で非常に「賢い」と言えます。
4. 人間の思い込み
人間はしばしば「自分たちが一番賢い」という前提で他の生物を評価します。しかし、人間も生物の一種であり、特定の環境で進化した結果として今の知能を持っているに過ぎません。もし人間が動物の世界で生きることを強いられたら、むしろ彼らの知恵がなければ生き残れないかもしれません。
つまり、「動物は人間の尺度では賢くないが、それぞれの環境では非常に賢い」というのが結論です。知能を「生存と適応の能力」と考えれば、動物たちもまた高度な知性を持っているのです。
Q「動物の生存と適応の能力は本能であり遺伝子のレベルですよね。知性は後天的にみにつくものだと考えますが」
Aとても鋭い視点ですね。本能と知性の違いについて掘り下げてみましょう。
1. 本能と知性の違い
- 本能:生まれつき備わっている行動や能力(例:鳥が巣を作る、サケが生まれた川に戻る)
- 知性:経験や学習によって獲得される能力(例:カラスが道具を使う方法を学ぶ、犬が新しい芸を覚える)
生存や適応に関する行動の多くは本能によるものですが、それだけでは説明しきれないケースもあります。
2. 動物の知性と学習能力
動物も「学習」することで行動を変えられるため、完全に本能だけで生きているわけではありません。
例1:チンパンジーの道具使用
野生のチンパンジーは、木の枝を加工してアリを捕まえる「アリ釣り」をします。しかし、すべてのチンパンジーが最初からできるわけではなく、親や仲間から学ぶことで身につけます。
例2:カラスの交通ルールの理解
都市に住むカラスは、車が止まる信号のタイミングを理解し、赤信号のときにだけ道路に降りてナッツを割ります。これは遺伝子レベルの本能ではなく、経験を通じて学んだものです。
例3:タコの学習能力
タコは短期間で環境に適応し、新しい問題を解決する能力があります。例えば、迷路の解き方を学んだり、瓶のフタを開けたりすることができます。
3. 本能+知性の組み合わせ
動物の行動は「本能だけ」ではなく、「学習による適応」も含まれています。
人間も本能的な欲求(食欲、生存欲、繁殖欲)がありつつ、学習によって言語や技術を習得します。
つまり、「動物の生存能力は本能だけではなく、知性も関わっている」と言えます。
知性を「後天的に身につくもの」と定義するなら、学習を通じて行動を変える動物たちも、ある程度の知性を持っていると考えられますね。